イスラエルの旅 5日目後半 ベツレヘムへ

エルサレムから南に約10㎞、標高726mの小高い丘の上にある聖地がベツレヘムです。

ベツレヘムパレスチナ自治区です。ここではイスラエルが「自爆テロ防止ため」という名目でパレスチナに建設した分離壁を目にします。壁の高さは約7メートル。

壁のこちら側と向こう側を行き来するには、イスラエル軍が管理する検問所「チェックポイント」を通過しなければなりません。
          
分離壁イスラエルパレスチナの境界に建設されているのではなく、ほとんどがパレスチナの中に侵入してパレスチナ人の土地を奪いながら建設されているのです。

この壁によってパレスチナは多くの土地を奪われ、町と町も分断され、自由に行き来が出来なくなった為 職や住む場所を失い苦しい生活を強いられているようです。

イスラエル国内で車両登録された車は、バス・タクシーも、パレスチナ自治区に入ることは出来ない為、私達はパレスチナ人の運転する車に乗り換えました。
          
暗いイメージのあったパレスチナ自治区ですが、生誕教会近くのメンジャー広場には大きなクリスマスツリーが飾られ、明るい雰囲気でした。 
          
ツリーの頂点に飾る星は「ベツレヘムスター」と呼ばれています。東方の学者たちをキリストのもとに導いた星は、キリストが生まれた場所の名前を取って、ベツレヘム・スター(ベツレヘムの星)と呼ばれるようにったのだそうです。
今まで知らずに飾っていた星ですが、ちゃんと意味があるのですね。

          
聖誕教会はこの広場に面しています。
キリスト生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路パレスチナ 登録年:2012年 危機遺産:2012年)
          

聖誕教会
エスが処刑されたエルサレム旧市街のゴルゴダの丘から約10kmの位置にある聖誕教会は、2世紀以降、イエスの生誕地と考えられてきた地に建っています。339年に初めて建設され、6世紀に火災に遭い再建されました。聖誕教会の入り口はとても小さく、この入り口の付近に2000年前には、馬小屋として使われた洞窟があり、ここでイエスは誕生しました。現在は、教会の祭壇があり、その下に記されたベツレヘムの星がイエスの生誕地であることを示しています。この初期キリスト教会の特徴を残す聖誕教会に加え、この巡礼の最終目的地に向かうための巡礼路と鐘楼、ひな壇式庭園、ラテン・ギリシア正教フランシスコ会アルメニア教会の女子修道院や教会群なども対象です。

2011年10月にユネスコへの加盟が承認されたパレスチナ自治政府世界遺産に申請。これに対してイスラエルが反対動議を提出しましたが却下されました。アメリカは調査不十分という理由で反対しましたが、登録が認められ、パレスチナ第1号の世界遺産となりました。しかしここはパレスチナイスラエル抗争などによって教会の維持・補修が進まない状況から、世界遺産登録と同時に危機遺産リストにも記載されました。

小さな入り口を入るとすぐ生誕教会の内部になる床の一部がガラス張りになっていて、そこからコンスタンチヌス帝が建てた教会のモザイクの床が見えます。
奥に見える祭壇の後ろから地下洞窟に入ります。

小さな入口は、人が 一人はいれるくらいの大きさですが、敵の馬が建物の中に入れないようにする為にです。

          

          
階段を下りた横に祭壇がありました。イエス生誕の祭壇です。浅い穴ですぐ岩に触れることができました。
          
誕生時、東方三博士が星に導かれてイエスを訪れます。その星を象って、床には星型のプレートが埋め込まれています。
          
キリストが生まれたと伝承される馬小屋として使われていた洞窟を中心とし、その上に立てられている聖堂を、ローマ・カトリックフランシスコ会)、東方正教会アルメニア使徒教会が区分所有している教会ですので 聖職者の間でも担当範囲をめぐっていさかいが絶えないようです。


フランシスコ会聖カテリーナ教会
生誕教会の北側には、フランシスコ会の聖カテリーナ教会が隣接しています。この礼拝所は毎年12月24日に盛大なカトリックのクリスマス・ミサが開かれ、世界各国にテレビ中継されます。 
          

聖カテリーナ像の前庭には聖ヒエロニムス像が立っています。

聖ヒエロニムスは4世紀末、この教会の洞窟に38年間こもり、ヘブライ語の聖書をラテン語に翻訳しました。この聖書こそがカトリックの公認聖書の「ブルガタ版ラテン語聖書」です。

聖ヒエロニムス像の足下には頭蓋骨が置かれていました。ローマの婦人パウラは聖ヒエロニムスの翻訳に協力を惜しみなく献げたといわれます。パウラが亡くなった後、聖ヒエロニムスはパウラの頭蓋骨をそばに置いて翻訳を続け成し遂げたそうです。
                    
日本で想像していた雰囲気とは異なり、街を歩いてもパレスチナは平穏に見えます。
          

          

          

しかし平穏だと感じたのも束の間 分離壁が見えてきました。
ベツレヘムを後にエルサレムに戻る時にまたまた検問を受けなくてはいけなかったのです。