イスラエルの旅 7日目後編  (最終編 ) クムラン   エリコ

クムランへ
マサダからクムラン遺跡に向かう途中エンゲディを通りました。

オアシスを中心とするエンゲディ国立公園にはダビデの滝や古代のシナゴーグがあり、アイベックスやハイラックスなどの野生動物が生息します。

人里はなれた荒野の断崖絶壁を切り裂いて流れる美しいオアシスにダビデが隠れ住んだと言う記録もあります。
                    写真ではわかりにくいのですが、滝が見えました。
          

          

                      野生のアイべックスに出会いました。
          

クムラン遺跡 
クムランは死海北西端の沿岸から約1kmにある遺跡で,古代には塩の町であったと考えられています。紀元前7世紀のヨシヤの時代には砦がつくられましたが、ユダ王朝時代(前7〜前6世紀)に要塞が築かれました。

この遺跡が有名になったのは,1947年に近くの洞穴から紀元前に書かれた完全な「イザヤ書」巻物写本がベドウィンの少年によって発見され、その後次々に同種の古代写本が周辺の洞穴群から発見されたからです。1951-56年には、古い要塞の跡からこれら古代写本(「死海写本」または「クムラン写本」と呼ばれる)の所有者と思われる共同体の大きな建物の全構造が明らかにされました。それは「クムラン共同体(教団)」と呼ばれます。 
                併設する博物館では死海写本発見の様子が再現されています。
                            
クムラン共同体は修道院的性格をもった祭司集団で、前130年ころ「義の教師」なる人物によってエルサレムの神殿祭儀に反対して創設されたと言われます。一般にヨセフスその他の古代文献に見えるパリサイ、サドカイと並ぶ第3のユダヤ教エッセネ派と同一視されています。彼らは独自の律法解釈にもとづく厳格な規律に従って禁欲的共有財産制の共同生活を営なみ、その中心思想は世界も人間も生と死、光と闇、善の霊と悪の霊といった二つの力や霊によって支配されているとする二元論的終末観によって特徴づけられ、毎日清めのための全身沐浴を実行し、そのための大きな水槽も多数発見されています。その他、作業場や食堂の跡も発見されていますが、寝室はなく、テントを張って質素な生活をしていたようです。また、エルサレムの正統ユダヤ教とは異なる独自の暦を使用していました。千以上の墓が発掘されているところから、何世紀にもわたった共同体だったと思われます。また、女性の骨も見つかっています。この共同体は紀元後70年の第1次ユダヤ戦争のとき、ローマ軍によって破壊されて消滅しました。ただし、出土貨幣から第2次ユダヤ戦争のとき、ユダヤ反乱軍がこの遺跡を使用したと思われるものもあります。洗礼者ヨハネ、そしてイエスクムラン教団に属していたのではないかと推測されています。
          
                        
浴場跡
          
昨日エルサレムイスラエル博物館の死海写本館で見た「死海写本」はここクムランの洞窟で発見されたのです。

1947年、近くを歩いていたベドゥインの子供がクムランの洞穴で土器に入った巻物を発見。壷に納められた600を超えるその巻物には、イザヤ書全編や詩編を含む旧約聖書や創世記外典などの外典文書、ユダヤ経典のテキストなどが記されていました。古ヘブライ語ギリシャアラム語で書かれた巻物は、それまで最も古いとされていた写本よりさらに1000年も昔の、紀元前2世紀のものと考えられ、20世紀最大の考古学的発見と、世界の聖書学会にセンセーションを巻き起こしました。
                    
               中央に見えているのが少年が偶然発見した洞窟。
          

クムラン遺跡を後に次に向かうのはパプティズムサイトです。
パプティズムサイトは洗礼の地という意味です
エスヨルダン川対岸のベタニアでヨハネより洗礼を受けました。近年になってイエスヨハネから洗礼を受けた場所がここであることが分かり、観光名所となっています。
少し前まではヨルダンとの国境のため、立ち入ることの出来ない地域だったようですが、現在は検問所らしきところはあるものの、比較的簡単に出入り出来ました。
          

          

          
私が立っている場所はイスラエルで、川の向こうがヨルダンです。ほんの3m位の川幅です。ここもニュースでよく聞く「ヨルダン川西岸地区」。ヨルダン川を境界に過去歴史的と言って良いほどの大きな事件がたくさん起きていて、今でもいろいろな問題を抱えるかなりデリケートなエリアです。
          
対岸にはギリシア正教の教会、ヨルダンの国旗も見えます。
          

エリコ
エリコは、現在はパレスチナ自治区として統治され、激動の中東情勢の中で
住民は暮らしています。
パレスチナ自治政府の権限の及ぶ範囲は細かく飛び地状に区切られています。
そして同胞の住むヨルダンともイスラエル軍封鎖エリアによってシャットアウトされています。
パレスチナ自治区とも言っても、周囲の状況との関係で、人々の表情は異なります。
ベツレヘムに出入りする時は厳重でしたが、エリコは全く穏やかな感じでした。

エリコ(ジェリコ、英語:Jerichoֹ)は、死海の北西部にあり、古代からオアシスの町でした。
今から1万年前の紀元前7800年頃から人間が住んでいた跡があり、町の周囲を壁で囲った集落が出現したため、世界最古の町と言われています。又世界で最も標高の低い町です。

今から3000年前、モーゼに率いられてエジプトを出たイスラエルの民は40年間シナイの砂漠をさまよった後、モーゼの後継者ヨシュアの指揮下、カナンの地に入りました。そこで最初に攻め込んだ町がエリコです。これを陥落させるとき、城壁が障壁となりましたが、イスラエルの民は、契約の箱を担いで7日間、そのエリコの城壁の周りを廻り、角笛を吹くと、その巨大なエリコの城壁が崩れたといいいます。  

後方には誘惑の山が見えます。
エスは御霊によって荒れ野に導かれました。それは誘惑の山と呼ばれる場所です。イエスはそこで40日断食し、特別な祈りの時を過ごされました。
そこに誘惑するサタンが登場します。最初の人間アダムを誘惑したサタンは、第二のアダムと呼ばれるイエスをも誘惑しようとしました。誘惑の内容は、自分の力を、自分の必要を満たすために用いたらどうかというものでした。
他方、神はサタンの思惑とは別の意図を持っておられました。この誘惑は、イエスがどのような救い主になるかを決定する試金石であったということです。すなわち、パンを与え、政治的な繁栄を約束し、奇跡を見せるメシアなのか、それとも十字架の道を歩むメシアなのか。イエスはそのいずれかを選ぶ岐路に立たされたのです。そこでイエスは、サタンの誘惑をことごとく退け、十字架の道を選び取って行かれます。それこそは神の御心であり、全人類の罪を贖うことのできる唯一の道であったからです。

          

          
遺跡は高台にあるので見晴らしは最高でした。 
          
ふと「エリコの戦い」を歌った黒人霊歌を思い出しました。
        
テル・エッスルタンを後に、ドライバーさんお薦めのアイン・アッスルターン通り沿いを通ります。
           
ドライバーさんは徴税人ザアカイが登ったといういちじく桑の木を見せてくれたかったようです。
ザアカイの木と呼ばれているイチジク桑の木は、ルカによる福音書に出てくる徴税ザアカイの名から来たもの。背の低いザアカイはイエスを見るためにこの木に登っていたところイエスから声をかけられたそうです。
                         

エスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

いよいよイスラエルとも別れです。

パレスチナ自治区との境には分離壁が続いています。イスラエル政府は、エルサレムイスラエル全体を700キロほど取り囲み、将来のパレスチナ国家との事実上の国境線とする考えのようです。

悲しい現実を眺めながらテルアビブの空港に向かいます。
                       パレスチナ自治区との分離壁
          

          

          

テルアビブ(ベン・グリオン国際空港)の出国もスムーズにすみました。
         
21時発の飛行機に乗り、香港経由で 明日の21時には成田に到着です。

イスラエルの旅は 今年旅した中で一番印象に残るものになりました。
行く先々で多くの驚きがありました。

旅してみて、この国のことがますますわからなくなりました。不思議な国です。

もっとも無宗教の私は行く先々の神に祈ってきました。特定の宗教を持っていらっしゃる方にとっては不思議でしょうね。

イスラエルは四国とほぼ同じ程の狭い面積。建国してわずか65年。居住する人たちは、ユダヤ人だけではありません。(ユダヤ人の定義すらも私には感覚的に理解がまだ出来ておりません)世界各地の人々が混合していて 各々異なった宗教を持ち生活しています。当然同じ国のなかに、文化の違いも生じてきます。
そしてもう一つ地形的相違も大きいのも、この国の特徴です。

この不思議な国を、日本からイスラエルに嫁いだガイドの朋子さんが、宗教の解釈など ご自分も戸惑い、どのように理解してガイドとして説明したら良いかと悩み、一生懸命調べ勉強したことを、私たちに分かりやすく説明して下さいました。
これからはイスラエルのニュースを目にするたびに、異国で頑張っている朋子さんを思い出すことになるでしょう。
          
今回は参加者6人という少人数のツアーでした。プライベート旅行のように楽しい旅になりました。

バスは小型の物と大型のものを使いましたが、小型の物でも1人2席を充分確保することが出来ました。
最後の2日間は大型バス。
            このような大型バスに参加者6人にガイドさんと添乗員さんだけ。
                      

楽しい思い出を下さった参加者の皆様、ガイドの朋子さん、添乗員の佐々木さん本当に有難うございました。

                                   阪急トラピクス   イスラエル8日間