ナスカの地上絵・イグアスの滝・マチュピチュ遺跡  南米13日間の旅  マチュピチュ編其の一

9日目前半今日はいよいよマチュピチュ遺跡!
マチュピチュは、1450年頃インカ第9代皇帝パチャクティの時代に造られ、スペイン人により征服される1532年までの約80年間、人々が生活したと考えられています。尾根に広がる都市部分だけでも5k㎡ありますが、実際は倍以上あると言われ現在も調査が進めれれています。マチュピチュの都市部分は高さ5mに及ぶ壁に囲まれ、市街は広場を中心に神聖なエリアや神殿、居住区とからなっています。このことからも、王が滞在する都市の一つだったことが想像されます。また、マチュピチュはアマゾン熱帯雨林の入口に当たることから、部族の制圧や物流に関して重要な意味があったという説もありますが、なぜこのような高いところに都市を作ったかは、まだ謎なのです。
マチュピチュの歴史保護区は1983年世界遺産に登録されています。

マチュピチュ村から混載バスに乗り、遺跡入口に向かいます。
         
         
バスはハイラム・ビンガム・ロードという 急カーブだけでも13回ある一歩間違えればがけ下に落ちそうな細い山道を登って行きます。途中崖崩れの痕跡が数か所ありました。怖〜
         
マチュピチュの発見者に因んで、ハイラム・ビンガム・ロードと名付けられているこの道は標高差400m。

しばらくすると緑を覆った黄土色の岩肌が見える、険しい岩山が見えてきました。
         
バスで揺られること約20分。ついに到着!
         
入口でチケットとパスポートを見せていよいよ遺跡に入場。
         
         
         
インカ全土に通じていたインカ道の入り口を見張る「見張り小屋」も見えてきました
ここから小屋の横を登ってマチュピチュ一番の絶景ポイントへ!ガイドさんが案内して下さいました。
         
尖った絶壁の山々がそびえるウルバンバ渓谷の山間、標高2,280mの頂上にあるマチュピチュ
マチュピチュとは老いた峰を意味します。
山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれています。

やった! ついに来た!
         
1911年にアメリカ人探検家によって発見されるまで、400年以上にわたり人の目触れず、ジャングルで覆い尽くされ、切り立った断崖絶壁に埋もれていた謎の都市が目の前に広がります。
         
         
儀式の石
見張り小屋の南にある花崗岩でできた石造物があります。 三段の階段は、地下の世界、地上の世界、天上の世界というインカの世界観と関係があるのかも知れません。 
(地下の世界はヘビが、地上の世界はピューマが、天上の世界はコンドルが支配しているという)
この岩の用途は、捧げ物、「生け贄を神に捧げた」という説があるそうです。
         
         
         
市街地入口
後方にワイナビチュ山が見えます。
         
         
         
         
石の出っ張りがあり、屋根がかかっていた事が分かります。
         
重要な建物の1つに「太陽神殿」があります。内部は入れなくなっていたので、ガイドさんが上から指さし説明をしてくださいました。カーブした壁には四角い窓が2つあいていて、左は夏至、右は冬至のときに太陽が窓の正面に見えるそうです。太陽神殿の下には墓地があったといいます。
太陽の神殿の横には「王女の宮殿」太陽の神殿の北側には王がマチピチュに来訪された時の別荘があります。

近くで見ることが出来ないの!

でも、あとで再度遺跡を歩き、近くに行って確かめてきました。
         
石切り場
マチュピチュの石はすべてここから切り出された花崗岩が使われています。
         
ミニ植物園
マチュピチュ周辺に生育している植物を集めて植えてある小さな一角がありました。マチュピチュの標高では育たないコカの木も、インカの時代から品種改良された為、低い丈ですが育っています。
         

主神殿
インカの神話で世界を創造したピラコチャ神の為に建てられたと言われる神殿です。
マチュピチュで最大級の巨石を使った神殿でしっかりとした技術で作られている建物。
歪んでいるのは地震による地盤の歪みによるものです。。
でも、この神殿は未完成。神殿の下にも石組みがあり、インカ以前からの聖地だった可能性もあるとのことです。主神殿の左に回り込むと、音が反響する部屋があります。
三方に壁があり、開いている部分が広場に面していて、壁には17個の飾り棚が並んでいます
下の中央にある大きな岩は神への捧げものがおかれた場所です。

実はこの主神殿に残されていたいたずら書きから1902年にアグスティン・リサラガというペルー人が来ていたことがわかっています。彼は主神殿の前で金や銀の像を見つけたようです。それがどこにあるかはわかっていないとのことです。
         
背後にある小さな部屋は音が反響するので、エコーの部屋と呼ばれています。
         
3つの窓の神殿
主神殿のすぐ横に東側に向かい大きな窓が開いている建物がありました。手前の左右3段に彫らた石は冬至の日に地面に同じ大きさの影が出来るそうです。
         
インティワタナ(日時計
主神殿の先の階段を上がると日時計がありました。
         
インティワタナのある場所はマチュピチュで最も高いところなので、360度見渡すことが出来ます。
         
農業試験場とワイラナ 
段々畑が農業試験場と呼ばれている場所。 農作物の品種改良をしていたそうです。
草葺きの2棟の建物はワイラナ(準備室)と呼ばれる建物です。
         
聖なる石
聖なる岩の左右の建物は「ワイナラ」と呼ばれ祭りの準備室と言われています。
インカの人々にとって山々は神であり、この場所にマチュピチュが造られたのも周囲の神に祈りを捧げる意味があったのではないかと言われています。マチュピチュにはいくつも山の形をした石があります。
聖なる石も正面に聳えるヤナンティン山を模しています。
         
聖なる岩のある場所を降りるとすぐにワイナピチュの登り口がありました。
ワイナピチュ山2,690mは、1日に2回だけ午前と午後に分けて合計400人だけしか登頂が出来ません。
遺跡とは300mの差ですが、これがとてもきついらしく毎年数回滑落事故があると言います。
         
天体観測の石
         
コンドルの神殿
背後の石はコンドルが羽を広げた形になっています。
         
水汲み場 
太陽の神殿のあたりから居住区にかけて、石を削った水路を流れる16の水汲み場があります。
         
先ほどもふれましたが、太陽の神殿の横には「王女の宮殿」太陽の神殿の北側には王がマチピチュに来訪された時の別荘があります。
         
王の別荘
王の別マチュピチュでひと際美しい壁の造りとなっています。

実はこの場所先ほどガイドさんが上からしか説明しなかったのですが、同じツアーの元気なIさんが見に行こうと誘って下さり、5人で再度遺跡内の見学に挑戦しました。
お蔭で一番重要な所数か所を見逃がさずに回ることが出来ました。
         
王の水洗トイレ
かつては建物の隅に水が流れていて、水洗トイレだったそうです。
         
段々畑
東側斜面に段々畑ができたのは、太陽の熱をより多く受けるためだそうです。石組でできた段々畑は、日中の太陽の熱で石が温まり、夜でも暖かさを保ちます。水はけや保水を考えて、石組の中は、上から土、川の砂、小石、石と4層になっていました。雨の多いマチュピチュでは、農業用水は雨水だけで充分でした。マチュピチュには300人〜800人(一説には1000人)の人が生活していたので、畑ではジャガイモ、トウモロコシ、コカの葉などが生産され、作った作物は通年食べられるように貯蔵庫で保管されました。

段々畑には様々な用途があり、西側の太陽が沈む側の段々畑は、神への感謝の捧げものを置く場所だったとも言われています。急斜面の段々畑は山崩れを防ぐ目的でつくられたそうです。
         
          
         
お昼は遺跡入口にあるサンクチュアリーロッジで頂きました。
数年前にこのホテルに宿泊するコースを予約していたのですが、都合で実現できませんでした。
遺跡を望むお部屋からの眺めは素晴らしいでしょうね。
         
お料理は評判のホテルだけあって品数も豊富で、一つ一つの味付けも丁寧でした。

アルパカのお肉に挑戦!
アルパカのお肉は初めて頂きましたが、臭みやクセが一切ないく淡白なお味でした。
ペルーではクイ(天竺鼠)のお料理も挑戦して見たいと思っていましたが、今回そのチャンスはありませんでした。
         

昼食の後、希望者だけ「インカ道ミニハイキング」に行きます。