カナダの旅 ケベック・シティー

ケベックは約400年前、フランスが北米で最初に入植した街です。その後はフランスとイギリスの植民地争奪戦の中でフランス側の拠点として成長していきました。1759年の英仏戦争で敗れ、イギリス統治になった後も、
住民たちはフランスの文化や言葉を手放しませんでした。
今でも自分たちは「ケベコワ(ケベック人)」だとの誇りを持っていると言われています。

ケベック州の人口の80%がフランス系カナダ人。カナダで唯一、州の公用語がフランス語です。街の表記も
フランス語で書かれています。

街のモットーは「ジュ・ム・スヴィアン Je me souviens(私は忘れない)」
ケベック州に登録されている車のナンバープレートにも、Je me souviens(私は忘れない)と書かれています。
ケベックの人達の、イギリスの支配などの苦難を乗り越えてきた歴史の重みと、フランスへの思いが 今なお街の隅々にまで溢れています。
          
この日8時から3時間の案内をお願いしたガイドさんがホテルに来てくださいました。

グリーン系の派手なジャケット来たガイドさんとご対面。
10年以上この町に住んでいる日本人のガイドさんです。以前はツアーの添乗員をなさっていたようです。

服装は少々奇抜だけれど、さすがプロ。挨拶もそこそこ、すぐに仕事モードに。
早速ホテルの説明から始まります。

ケベックは石材の都市と言われていて、このフェアモント ル シャトー フロントナックもケベックの山の石が使われているのですよ。

サミエル・ド・シャンプランが1806年に毛皮交易の拠点として簡素な砦を作ったことから始まったケベック・シティですが、毛皮は何の毛皮かご存知ですか?
なんとビーバーの毛皮だったそうです。当時 山高帽が流行っていて、ビーバーの皮で作られていたそうです。

細かい説明を受けながら、歩きます。
          
ホテルを出発しダルム広場、トレゾール通り、ノートルダム大聖堂とめぐり,ロウア―タウンに降りていき、ヒチコックの映画「私は告白する」に出てきた階段を下り、巨大な壁画、ロワイヤル広場、勝利のノートルダム教会、そして、フニキューラー(ケーブルカー)にのって、テラス・デュフラン,シタデル(ここは遠くから眺めただけなので、あとでゆっくりと見学しに行きました)、サンルイ門、ケベック州議事堂と案内していただきました。
          
          
首の骨折り階段
1889年チャールズベイヤージュの設計で作られました。名前の由来は、余りにも急勾配の階段なので「首の骨を折らないように!」と注意喚起する意味があるようです。
          
プラスロワイヤルの傍に、素晴らしい壁画が描かれています。
21世紀の記念に制作された「ケベコワの壁」は、1999年に、約9ヶ月間かけて、フランスから招かれた6名の職人の手で描かれました。
          
ロワイヤル広場
ロワイヤル広場は1608年、フランスの探検家シャンブランが最初に植民地住宅を建てた「ケベック発祥の地」です。

胸像は″太陽王″と呼ばれたフランス国王″ルイ14世″(ヴェルサイユ宮殿を建てた方)
          
          
広場に立つ「勝利のノートルダム寺院」。
ここは北米最古の石造教会として知られているそうです。
          
プチ・シャンプラン地区の入口。
お洒落なカフェやレストランが立ち並んでいます。
          
この狭い入口は(小さい写真)兵隊が通ったと同時に、当時近くで馬の売買が行われていて、この狭い所を早く上手に駆け抜けられた馬が高額で売買されたそうです。                                    
    
          
この後フニキューラー(ケーブルカー)にのってテラス・デュフランに。昨日は売店かと思いましたが、駅舎に使われている建物は、太平洋への航海路を探す中、ミシシッピー川を偶然発見した探検家ルイジュリエの住居(1683年)を改造したものだそうです。
   
テラス・ディフラン
          
テラス・ディフランから丘を登り、丘の上からケベックの美しい旧市街を眺めました。
          
丘の上にあるシタデルは、函館の五稜郭のように星形に作られた要塞。ここは後でゆっくり来ることにしました。
          
          
          
          
          
サンルイ門(サンジャン通り)
ケベック旧市街を取り囲む城壁に残る4つの門の中で、最も美しいとされるサンルイ門。門の傍には、ルーズベルト大統領とチャーチルの頭部の像が置かれています。これは第二次大戦中に,2度開かれた「ケベック会談」:会談のコードネームは“QUADRANT”(四分円)の記念碑です。
          
          
ケベック州議事堂
フランス人建築家ユージンエッチエンヌターシェの手によるフレンチルネッサンス様式の議事堂は、1877年から10年間もの歳月をかけて建設されました。横幅奥行き共に百mの正方形であり、中央棟は50mのジャックカルティエタワーです。州旗の掲揚塔には、フランソワ一世の王冠をデザインを施しています。
          
          
          
ガイドさんと一緒に回りきれなかったところは後でゆっくり回りました。

シタデル
1820年から30年以上もかけてイギリス軍が建造した堅固な要塞で、現在も王位愛22連隊の駐屯地です。 
          
戦場公園(次の日の朝行きました)
1759年の戦いでイギリス軍がここを守っていたフランス軍を破り、以後ケベックはイギリスの植民地となりました。当時の戦いは壮絶を極めたといわれています。
その歴史を伝える砲台が公園におかれていました。
          
この公園で日本では生息していないマーモットが巣から出入りして餌を食べている姿を何度も見ることが出来ました。
          
この日ガイドさんに案内して頂いた後、午後は先住民の村を見学に行きました。