カナダの旅  トロント

サカ・ロマ「丘の上の邸宅」
1939年3月 カサ・ロマを建てたヘンリー・ペラットが亡くなった時 新聞はこう書きました。

      「カサ・ロマはヘンリー・ペラット卿の破れた夢を後世まで語り継ぐだろう。
     人の世の栄華が永遠でないことを刻んだ碑として それは今日も丘の上に建っている」
          
1914年、トロント郊外の丘陵地に3年の歳月を費やして建てられたこのお城は、部屋数98、暖炉25、電話52台、電灯5000、浴室38、ノルマンタワーとスコットタワーの2つの塔を持ち、当時世界で唯一電動エレベーターのあるお城でした。

このお城はナイアガラの発電事業で財を成したヘンリー・ミル・ペラット卿が邸宅として建てたものです。

ロマンチストであったペラット卿は著名な建築家E・J・レノックスを雇って、トロントを一望できる丘に「中世」の城を建てるという彼の生涯の夢を実現しようとしました。
911年に着工したプロジェクトには300人の作業員と当時のお金で350万ドルが投入され、完成までに3年の月日を要しました。

しかし経済的不運に見舞われ、ヘンリーと妻メリーはこの城に10年足らずしか住むことが出来ませんでした。破産から2年 妻メアリーは亡くなります。
          
観光客は音声ガイドを受け取って、好きな言語で説明を聞きながら、城内を見学することができます。

お城の写真の紹介の前にペラット卿の生涯を少しご紹介しましょう。

ヘンリー・ペラットは オンタリオ州キングストンに生まれました。父ヘンリーは銀行家でしたが、南北戦争後の不況のため破産し、ペラットが生まれたときは一文無しでした。

一家は1859年にトロントに移り、ヘンリーは株の仲買いを始めます。彼が見込んだとおりトロントは人口が増加し、新しい産業が興り、彼のビジネスも成功しました。
ペラットは1876年アッパーカナダカレッジに入りますが、3ヶ月で中退。クイーンズオウンライフル隊に入隊します。その後1883年ペラット&ペラット社を創立。その年トロント電灯社を創立し、トロント市と30年の街灯独占契約を結び、市域の拡大と人口の増大に伴い莫大な利益を上げました。また1885年に大陸横断鉄道が開通すると、西部に土地ブームが起こるのを見越して鉄道、不動産の株を買い占め成功。1903年にはナイアガラ滝での発電独占権を3万ドルで購入し、オンタリオ電力開発を創立。さらに翌年オンタリオ州コバルトで銀鉱が発見されると、コバルト湖鉱業社を創立。そのほか多くの会社の取締役に就き、カナダの富豪23人の一人に数えられるまでになったのです。

彼は社会事業にも関心を持ち、トリニティー大学、グレース病院、救世軍、国教会などに献金し、1911年のジョージ五世即位時にはトロントの全児童に記念メダルを贈呈しています。

彼が最も心血を注いだのは、クイーンズオウンライフル隊でした。1901年司令官に昇進し、1902年のエドワード七世戴冠式では軍楽隊657 名を自費でイギリスに派遣し、その功によりナイトに叙せられます。

彼の最大の夢は「カサ・ロマ」の建設。
カサ・ロマはペラットの夢と同時に自らが所有する周辺の不動産を高級住宅街に変貌させる広告塔の役割も兼ねていました。

1912年に彼は畑だったセダーベールを32万ドルで購入、翌月にはそれを傘下のホームシティー不動産に120万ドルで売却し88万ドルの利益を得ました。だが実際には土地を転がして地価を高騰させただけで、そこから何も産み出されたわけではなかったのです。株のディーラーとバイヤーの両方を兼ねていた彼は、好きなだけ株を売買して株価を上げ、地上げをして含み資産は増えていき、それを担保に銀行から無尽蔵に融資を受けることができたのです。

トロントの人口が増えているときは土地も売れ、人口増加に伴い産業が活発になると、人々は株に投資したのでオンタリオ電力開発のときのような儲け方もできたのですが、第一次大戦が始まると人々は戦時公債や軍需産業に投資し、土地や株を買わないようになったため、彼は資金繰りに行き詰まって行きます。
1908年オンタリオ電力開発、1911年にはトロント電灯社を売却し、彼の独占事業は終わりを告げました。

当初25万ドルの予定だったカサ・ロマの建設費は、終わってみれば300万ドル以上の大金を投じていました。評価税額は25万ドル、従業員の給与が年間2万2千ドル、光熱費だけで1万5千ドルもかかり、彼は170万ドルもの負債を返済できなくなります。
銀行は興信所に彼の身辺を調査させたところ、地価72万ドルとされていた所有するドーズ・ロードの土地は、実際15万ドルの価値しかないことがわかります。1,700万ドルと言われた彼の資産は、どれもみなこのような状態であり、その実体はトロント経済成長期の地上げと株価操作で膨らんだバブルでしかなかったのです。

第一次大戦後の景気が後退すると、多額の投資をした彼の会社は倒産、また融資を受けていた銀行も1923年倒産し、ペラットの資産のほとんどは差し押さえられました。
1929年ウォール街の株式暴落が致命的となり1934年ついに破産。

住む家を失った彼は、彼の雇っていた運転手の家に住んだそうです。

それでもカサ・ロマに執着した彼は博物館として残して欲しいと懇願しますが、市は再開発のためカサ・ロマの解体を決めます。
ところが解体には建設費と同程度の巨額の費用がかかることがわかったため、ダイナマイトで爆破することにしました。しかし破片が近隣に飛び散るため断念。焼却する案も出ましたが、カサ・ロマは耐火建築となっていたため、これも不可能でした。

莫大な光熱費を要するカサ・ロマは、使用することも解体することもできないまま放置され、荒れ果てて行きます。

1937年、トロントの貴重な歴史的遺産であるカサ・ロマの荒廃を惜しんだキワニスクラブが、市よりカサ・ロマの使用を委任され、カサ・ロマはトロントの観光スポットとして再び脚光を浴びることになりました。

このとき祝賀パーティーに招待された、一文無しのヘンリー・ペラット卿は白内障で失明しつつ、30キロも痩せ細り、杖をついていました。
スピーチを求められた彼は目に涙を浮かべながら、「私はカサ・ロマを人々に楽しんでもらえる場として建てた。そしてこのクラブはその目的にかなってこの城を使い、多くの人々をこの城に導いている。これ以上のことはない。私は・・・・私は満足だ。」と語ったそうです。

この日が彼の最後のカサ・ロマ訪問となりました。

第二次大戦の足音が迫る1939年3月、彼は負債6,000ドルと現金185ドル8セントを残して世を去りました。

彼の葬式は、軍と政府によって盛大に執り行われて、華やかだった彼の人生にふさわしいものだったそうです。

このお城にまつわる話を聞いて、見学を始めました。

入口のホールには樫材の梁の天井と、738枚のガラスから成る張り出し窓に囲まれたこの部屋には、7万5千ドルのパイプオルガンと、英国王が戴冠式のときに使うウエストミンスター寺院のものを模倣した玉座があり、
ペラットの王権を象徴しています。
          
          
図書室
24×8メートルの図書室は、10万冊が収納でき、壁はフランス産胡桃材、床はカナダ産樫材でできたヘリンボーン模様。向きによって色が変わって見えました。
          
10万冊を収納できますが、多忙を極めた為ペラット卿は本を読む時間はあまりなかったそうです。

天井はエリザベス朝の仕上げで、紋章にもペラット卿の国(軍)への思いが込められています。
                  床                     天井
                    
1階にある 樫の部屋
部屋の壁にはフランスの樫の木が使われており彫刻を仕上げるのに職人が3年かかったそうです。
     
 温室は地中海様式となっています。天井はイタリア製ステンドグラスのドーム、床もイタリア産大理石で、蒸気パイプで保温されています。ここではお昼のダンスパーティーなどにも使っていました。
ペラット卿はここで栽培した植物を園芸展に出展したそうです。
                           
          
食堂
          
ぺラット卿の書斎にある当時のまま残っている美しい暖炉。
左右に狭い階段がついていて二階と地下へ移動できます。1,800ボトル収納可能な地下ワイン貯蔵庫に通じています。
          
ペラット卿の寝室
夫婦は寝室を別に持っていました。当時裕福な家庭では、それが普通だったそうです。
          
二階の彼の浴室は大理石の浴槽で、当時珍しかった全角度から吹きつけるシャワーがあります。
                        
          
ウエッジウッドの間と呼ばれている夫人の寝室
          
夫人の浴室  赤ちゃん専用のバスタブまであります。
          

          
カナダ女王専属ライフル銃兵連隊の指揮を執っていたペレット氏は、いつか王室の方々を招いて、この部屋に泊まっていただくのが夢だったようですが、残念ながら実現はしませんでした。
ウィンザー・ルーム」という名前の寝室。
          
          
もう一つの来客用寝室
          
3階には使用人の寝室がありました。
ペラット卿のもとで働く住み込み使用人の多くは、最先端の快適な部屋、食事付き、お給料も出ていて、当時としてとても良い職場だったようです。
          
          
しかし来客の多いお城の後片付けと、広いお城を掃除するのは大変だったに違いありません。

長い階段をグルグル登り、邸宅で最も高い塔へも上りました。
                          
5エーカーもある広い美しい庭園
          
今もペラット卿がお城の中にいるような気配を感じながらカサ・ロマを見学をしました。


スパダイナ博物館カサ・ロマからSpadina通りを挟んで反対側にスパダイナ博物館があります。
緑に囲まれた白亜の外観のスパダイナ博物館は、ガス会社への投資で富を得たオースティン一族の邸宅として1866年に建造されました。
4代にわたって住んでいましたが、1984年に凋落したオースティン一族は、邸宅を手放してしまいます。
屋敷はオンタリオ州の史跡に登録されビクトリア様式とエドワード様式の家具が置かれた部屋や見事な庭園を見学できます。
お城のような豪邸「カサ・ロマ」を見て来た直後なので おとなしい印象を受けました。

係の方が説明をしながら案内して下さいました。
          
          
 
              
  
            

セントラル・アイランド
昨日CNタワーの360レストランからも見えたセントラル・アイランドに行きました。
セントラル・アイランドはオンタリオ湖に浮かぶ公園の島で、ハーバーフロントからフェリーで15分で到着します。この島は車の乗り入れが一切禁止されており、緑豊かな自然に恵まれたトロント市民の憩いの場になっています。
カヌーやボートやサイクリングなどを楽しむことができます。
ユニオン駅近くのフェリー乗り場から往復7ドルで行けます。
                       
島へ渡るフェリーから眺める街の景色は最高!
          
          
          
          
島には遊園地もありました。
          

明日はプリンス エドワード島に行きます。