映画   「ロイヤル・アフェア愛と欲望の王宮」

旅行先で、帰ったら是非見なくてはと思う映画作品の名を耳にすることがあります。

今日はそのような映画をDVDで3本観ました。

ロイヤル・アフェア―愛と欲望の王宮 (18世紀後半のデンマーク
かもめ食堂  (フィンランド ヘルシンキが舞台)
ディナーラッシュ (アメリカ ニューヨークのレストランが舞台)

今回はその中の1本 「ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮」 をご紹介します。

映画を観るきっかけになったのは、デンマークのフレデリクスボー城の美術館を見学した折、
1枚の美しい女性の肖像画を前にしてのガイドさんの興味ひかれる説明。
それは18世紀後半のデンマークの王室で起きた 王と王妃、侍医に実際に起きた出来事で、映画「ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮」になっていると知ったことです。
          
フレデリクスボー城の美術館にある「ルイーセ・アウグスタ王女」の肖像画
デンマーク王女で、アウグステンボー公フレデリク・クリスチャン2世の妃。
公式にはデンマーク王クリスチャン7世と王妃カロリーネ・マティルデの娘とされたが、実際には侍医で事実上の摂政であったフリードリヒ・ストルーエンセが父親であったと広く認められています。

           
映画を観て
この年になっても、自分の知らない事が沢山あることに唖然とすることが度々ありますが、今回もフランス革命少しの前のデンマーク、その王室のこと、啓蒙思想の沿革など、当時の歴史を詳しく知らなったことをあらためて思い知らされました。

18世紀後半、フランス革命の直前の時代。当時、ヨーロッパはルソーなどの啓蒙思想の影響で、各国で宗教的で盲目的な古い権威から離れ、理性を尊ぼうと云う進歩的な思想運動「啓蒙時代」 革新的な改革の機運が高まっていました。

しかしデンマークでは、中世から続く宗教権威主義を引き継ぎ、市民の生活は制限され、拷問があり、書物には厳しい検閲があり、人心を扇動する書物は厳禁でした。

当時のデンマークは、国を動かしていたのは 国王ではなく貴族達でした。その背後で権力を握っていたのは皇太后。重要事項の決定は枢機卿たちがして、名ばかりの国王はその書類にサインをするだけでした。

そんなデンマークの王室に王妃として嫁いできたイギリス国王の孫カロリーネ。

カロリーネはクリスチャン7世との結婚に希望を抱き、イギリスからやって来たのです。
しかし、すでに両親を亡くし、父王の再婚相手である継母の皇太后とその息子と暮らしていたクリスチャンは精神の病にかかっていて、子供のように振舞うかと思えば、突然怒り出してカロリーネを侮辱します。
15歳で嫁いだカロリーネは知性、美貌を兼ね揃えているにもかかわらず、病んだ王の関心を得られず、王子をひとり産んだ後は孤独で絶望的な日々を過ごし、王とは断絶状態でした。

クリスチャン王も妻を置いてドイツへ外遊してしまいます。外遊先で病が悪化した時にドイツ人の医者ストルーエンセに救われます。

クリスチャン王に気に入られたストルーエンセは 王の侍医としてデンマークにやってきます。彼はルソーをはじめとする啓蒙思想家の著書を読み、自身も匿名で啓蒙思想の本を書いているという人物。

しだいに王はストルーエンセを慕い、信頼し、政治の事も相談します。自由主義を信奉するストルーエンセは、やがて王や王妃の考え方に影響をあたえます。
           
          
国王はストールエンセのシナリオに従い、議会で法改正の発言をするようになり、少しずつ自信を取り戻して行き、彼無くして自分は無いと感じ、ますますストールエンセへの信頼を深めてゆきます。
           
          
王の信頼を得たストールエンセは、あたかも国王の権限を手にしたかのように振る舞い、王を味方につけることで次々に自身の合理的・批判的精神に基づき、過激な改革を図ろうとします。

満たされぬ毎日を宮殿の中で過ごしていた王妃はストールエンセに出会います。初めは彼の事をあまり良く思っていませんでしたが、ドイツ人の彼の書斎には、フランスやドイツなどの啓蒙的書籍があり、王妃はそれに興味を惹かれ、書物を通じてストールエンセと親しくなって行きます。
          
国王はますますストールエンセに影響され、宗教の権威主義の排除、政治の中枢にいる貴族制の廃止、書物の検閲の撤廃、市民の人としての生活の改善を強く主張します。

それに反感を抱く皇太后側の枢機卿たち。

王の信頼を得たストールエンセは次第に、自由主義に傾倒する王妃との間に秘められた恋も芽生え、王妃の心もつかみ、逢瀬を重ねるうちについに王妃は子供を身ごもります。

フレデリクスボー城の美術館で見たルイーセ・アウグスタ王女」の肖像画が成長したこの子供なのです。

           
 
このスキャンダルは、皇太后の知るところとなります。ストールエンセはスキャンダルをもみ消そうとしましたが、かつて自分が推進した検閲廃止法案を逆手にとられ、王宮内部のみならず、一般市民にまで知られることとなりました。

ついに王妃は追放。ストールエンセは断頭台に送られます。 
           
王妃は追放される時、国王との間に生まれた王子と、侍医との間に生まれた娘の二人の子供を連れて行こうとしましたが皇太后は王子を連れて行く事は許しませんでした。

治世は、皇太后の下へと移り、閉ざされた国家へと逆戻りしましてしまいます。

病に倒れたカロリーネは、改革を試みた王と侍医の子供たちにデンマークの未来を託すために手記を書きます。(王妃はイギリスからも帰ることも受け入れられず、旧臣らと暮らすこととなりましたが、間もな、1775年に猩紅熱により、23歳で病死しました。)

ラストシーンで亡くなったカロリーネの手記がクリスチャンとの間に生まれた息子と、ストルーエンセとの間に生まれた娘に手渡され、それを読んだ兄妹が、皇太后たちに権力を奪われ、暗い部屋で失意の人生を送っている父王クリスチャンを訪れます。

この時子供たちが王の部屋の閉ざされたカーテンを開け放って光を入れるシーンは明るい未来を暗示しているように感じました。

映画の最後に、クリスチャンの息子フレデリクが16歳で宮廷クーデターに成功し、王として社会改革を行い、
ようやくデンマークに近代化が訪れた、という字幕が出ます。
国王と王妃の息子の代になると、ヨハンが提唱した数々の変革項目が採択され、
他のヨーロッパ諸国の後を追い、デンマークも、開かれた国家へと変わっていったのです。

18世紀のデンマーク王室の史実に基づいた、革命的な数年間を描いたこの作品は、途中から国王クリスチャン7世、医師ストールエンセ、カロリーネ王妃、の3人の各々の立場に 同情、共感すら覚えます。
 
3人のスキャンダラスな関係以上に,3人の根底には時代を変えようとする同志のような絆すら感じ、ありきたりな「愛と欲望の王宮」というタイトルより、はるかに重厚で壮大なデンマークの歴史、人間ドラマとして非常に見ごたえの映画でした。

この映画を観てから、フレデリクスボー城にある多くの肖像画を見たならば、肖像画の1人1人がもっと理解できたと思いました。

しかし、後からであってもこの映画を見て本当に良かった!