マダガスカルの旅  アンタナナリボ  アンブヒマンガ

6日目 前半
ホテルを出発し、暫らくするとアヌシ湖が見えて来ました。湖周辺はジャカランダの美しい紫色でおおわれています。
         
車窓からアンタナナリボの町を見ながら2000年に世界遺産に登録されたアンブヒマンガを目指します。
アンブヒマンガ
アンタナナリボから21キロのところにアンブヒマンガという村があります。マダガスカル語で「青い丘」という意味です。16世紀、マダガスカルの大部分を制圧したメリナ王国の首都だった村で、メリナ王国の代々4人の王が暮らしていました。1794年にアンタナナリボに遷都するまで中心地として栄えた村です。
         
アンドリアナンプイリメリナ王の時代、アンタナナリヴとその周辺の12の丘を神聖な丘とし、各丘の頂上に宮殿を立て12人の妻を各丘に住まわせました。この12の丘の中で、当時最も神聖だったのが、王が住んでいたアンブヒマンガ。ここに王と共に住んでいた妻が第一夫人というか最も地位の高い妻だったようです。

村に着いて最初に現れるのが石造りの大きな門。王宮の入り口です。
         
裏には門を封鎖するための直径4メートルはある円盤型の石があります。
         
菩提樹のような木が敷地内に何本も植えられていました。イチジクノキと言われていますが、私たちの知っているイチジクの木とは全く異なります。この木は王を象徴する木だそうです。
         
塀の手前のイチジクノキがそびえる場所は、王の演説等を聞くところ。神聖な場所なので地面ですが靴を脱いで入らなければなりません。(演説は特にお正月と、他の部族と戦争をする前に行われました。)要塞の城壁は石と卵白を使って白く塗られたそうです。卵白は1,600万個も使用されたとも推定されています。
         
この木の幹には犠牲になった牛の頭が貼り付けられています。厄除けです。
         

         
この王宮は4代目の王アンドリアナンプイリメリナ(1787〜1810)が7年間暮らしていました。1788年ごろに建てられたと推定されている黒々とした木造の建物は黒檀で出来ています。5、6メートル四方小屋のようですがこれが王宮です。内部は土間になっていて,王と女王のベット、生活や儀式,戦いに使われた各種の道具や武器類展示されています。
王宮内部には長さ15mの大黒柱が立っていました。この大黒柱はアフリカ大陸から2000人の奴隷によって運ばれてきたと伝えられています。運搬中に100人近くの奴隷が死亡したとも言われています。王宮がなぜ小さいかというと、上に立つものとして、不満が出ないようにするための配慮だそうです。
         
王宮のそばには王と女王が沐浴に使ったという浴槽もありました。
今はセメントになっていますが、当時は岩をくりぬいて作られていました。
王様は年に1度ここで沐浴したそうです。王様の浴槽には18人の美しい女性が水を運んだそうです。
女王様の水は美しい青年が運んだそうです。
女性は王様に選ばれると奥さんになれるけれど、男性は女王に選ばれると次の日に首をはねられたそうです。

         
アンドリアナンプイリメリナ王の死後、息子が即位しますが、即位後18年で若くして亡くなります。そして彼の後を継いだのが、妻のラナヴァルナ1世(在位1828〜1861)。キリスト教徒弾圧や外国人排除で知られる女王です。彼女の時代には首都はアンタナナリヴに遷されていましたが、このアンブヒマンガを別荘地として整備しました。
イギリスのヴィクトリア女王から多く豪華調度品を送られ、隣のアンドリアナンプイリメリナ王の王宮とは全く趣が異なります。
         
王の墓
王様は亡くなると神様になると信じられています。
         
王宮の裏手の高台からは。アンブヒマンガの街や田園風景,また遠くにアンタナナリボの街並みを眺めることができました。
         
この村には富裕層の別荘が沢山ありました。
最近では門の前に番地等を書いた小さな円盤型の石を置く人が多いようです。泥棒除けにはマダガスカルが原産の花キリンを植えています。
豪華な別荘を見ていると貧富の差がどれほど大きさを痛感します。
所有者は政府関係者か軍の偉い人で、国のお金を使っているもよう。
         

         
昼食はポテトサラダとチキンを頂きました。
マダガスカル では鶏肉が一番高く、次が豚肉、牛肉がは一番安いそうです。