ラオスの旅  バンビエン→シェンクワン

6日目 今日は移動時間の長い1日です。
朝食後、近くの船着き場から、2人乗りのボートに乗ってナムソン川クルーズスタート!初めは上流に進んで行きます。
       
ナムソン川は背後の石灰岩の山々と共に、バンビエンの景観を形成しています。
この川はメコン川の支流に当たるナムグム川の支流、ナムソンダムへと流れ込み、その先のナムグムダムの水不足を補っています。
       
船底が岩に当たるかどうかのギリギリのところ、船頭さんが水量や流れを見ながら進んでゆくので迫力があります。

桂林のような岩山の景色が広がります。
       

       

       
ここでUターンして今度はタムチャン洞窟に向かいます。            
       
ナムソン川のほとりにはいくつかの宿や民家があるので、人々の朝の生活が垣間見ることが出来ます。
       

       
         
       

       
タムチャン洞窟
この橋結構揺れました。
       
橋を渡ってしばらく歩くと、タムチャン洞窟へ続く147段の階段があります。
急な階段です。

そうとうキツイ!
       
登り切った所からは渡ってきた橋が小さく見えます。
       
洞窟の中に入るとライトアップされています。
                  

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天然の鍾乳石が織りなす造形美。洞窟好きの私にはたまりません。
       
公開されているのはほんの一部で、洞窟は10㎞以上も続くそうです。
内戦中、アメリカ軍に追われたラオスの一部隊はこの付近で命を落としたそうです。
当時防空壕として使われていました。
       
再び階段を下りバスに戻ります。

ここから約240㎞先のシェンクワンに向かいます。
中国雲南省から続く国道13号線を北上、くねくねした山道へと入って行きます。

昼食は峠の眺望の良いレストラン「プークン・ピャンファ」で菜の花のスープ・野菜炒め・ココナッツミルクカレー等を頂きました。
               
昼食後国道7号線(ホーチミンルート)へ入ります。
ホーチミンルート モン族の悲劇
ホーチミンルートはベトナム戦争時、ソ連や中国からの物資や北ベとナム軍の兵員をベトナム北部から南部へ輸送する道であり、北ベトナム軍にとって南部攻略の為の重要なルートでした。
ホーチミンルートの9割はラオス国内を走っており、このルートを利用して北ベトナム軍が南下することを防ぐことを最大の目区的にアメリカ軍が戦闘に介入し、ラオスが攻撃を受けることになってしまいました。米国はラオス国内を走る「ホー・チ・ミン・ルート」をたたくため、山岳地帯を機敏に動くラオスに住むモン族の機動力に目をつけ、高い報酬でモン族を雇いました。

1961年、ラオス北部に米軍基地がつくられ密かにモン特殊部隊が組織され、モン特殊部隊はアメリカ軍の先兵として北ベトナム軍やラオス愛国戦線と戦うことになったのです。しかも敵方の北ベトナム軍やラオス愛国戦線の中にもモン族が居たため、同族同士が殺し合う悲劇にもなりました。

アメリカ側の戦況が悪化してアメリカ軍の撤退が始まると、アメリカ軍はモン特殊部隊を見捨ててしまいました。その結果北ベトナム軍の報復攻撃も含め合計20万人ものモン族が戦死したと言われています。モン特殊部隊が居なかったらアメリカ軍の犠牲は何倍にもなったと言われています。しかも米軍はラオスのホー・チ・ミン・ルート沿いに250〜300万トンの爆弾を投下し、おまけに着陸時に邪魔になる爆弾をラオスにすてると言う事まで行いました。20万トンが不発弾となり現在も住民の生活を脅かしているのです。
ラオスを旅行しなかったらこのような事実は知りませんでした。

モン族の村(ソンブン村)
途中モン族の村を通りました、この村は昔ながらのモン族の家が沢山残っています。
       
可愛い女の子がひたすらバナナの茎を家畜のエサ用に刻んでいました。
       
見事な包丁さばき。8歳だそうです。
       
山岳部のモン族は自給自足の生活をしているそうです。屋根は茅葺屋根のように草で覆ってあります。2年に1度葺き替えるようです。
       

       
登って行くと「どうぞ」と室内を見せて下さいました。         
       
部屋は窓がない1間で、そこにベットが1つあります。
快く写真を撮らせて下さいました。
       

       

       
夕方5時、宿泊するホテル・ヴァンサナ・シュクラワンに到着。
このホテルは標高1030mにあります。少々寒いのですが、部屋にはエアコンがありません。
       

       
美しい夕日  そして夜は星がとても綺麗でした。
       
夕食はホテルのレストランでラオ料理の代表格「ラープ」を頂きました。