ブルネイの旅   最終編

旅の4日目の午前中はエンパイヤホテルで ゆっくりと朝食を頂いた後 散歩をしたり、バギーで広いホテルの敷地を案内して頂いたりとブルネイ最後の優雅なひと時を過ごしました。
             ガラス張りの先に広がる東シナ海を眺めながらの朝食
        

        

        

        
午後にはもう飛行機に乗り クアラルンプール経由で帰国の途につきます。
成田到着は次の日の朝です。

3泊5日という短い旅行、しかも乗り継ぎなどのロスタイムが多い旅行でしたがブルネイを知ることが出来た貴重な3日間でした。

7月15日は、現ブルネイ国王「ハサナル・ボルキア国王」71歳のお誕生日です。
この日は一年のうちでも最もブルネイが活気付く行事の一つがある日だそうです。
お誕生日間近ということもあり、街には国王をお祝いする写真や旗がたくさん飾られていました。
        
ブルネイ天然ガス、石油などの地下資源が豊富であるため、社会保障も大変充実しており、教育費・医療費は無料、その他消費税や所得税などもかかりません。土地や住居も国から安く支給されますので、王族がどんなに贅沢をしていても、国民から不満がでないほど社会保障制度が充実しているのかもしれません。
       
しかしある調査機関の推測によると、早くて20年ほどで保有する天然資源は枯渇してしまうそうです。

ブルネイ政府は、そのような状況の中 2008年1月に将来を見据えた国家ビジョン「ワワサン・ブルネイ2035」を公表しました。この「ワワサン2035」は、2035年の達成を目標に国民の生活水準を世界の上位10位まで向上すること、国民が高い教育と優れた技術を取得すること、石油・天然ガスへの過剰な依存から脱却して多様化された経済でのダイナミックで持続可能な社会国家を実現すること。実現への指針となる今後10年間にわたる長期開発戦略、および政策の枠組みが策定され、国家開発5カ年計画に基づいて具体的なプロジェクトを推進しているそうです。

産油国ベネズエラが経済破綻して富裕国から最貧国となり、食料も入手出来にくく全土で暴動が発生しているニュースが報道されていますが、ブルネイが今後そのようにならないことを願っています。

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ここで忘れてはいけない日本人がいることをご紹介します。
それはブルネイを変えた日本人 木村勉氏です。

東南アジア・ボルネオ島の北部に位置する、ブルネイ・ダルサラーム国三重県とほぼ同じ面積ながら、石油や天然ガスなど、地下資源が豊富で、これらの輸出により経済は安定。 国民の税金はほぼ
ゼロ。 医療費も国が負担するなど、世界有数の裕福な国として知られています。

しかし かつては、世界で最も貧しい国の一つでした。 この発展の陰には、国の経済だけでなく、人々の心まで大きく変えた一人の日本人の存在があったのです。

1939年、第二次世界大戦が勃発。 日本は1941年から東南アジアのアメリカ・イギリス・オランダが植民地とする島々を次々に占領。 翌年には、イギリスが支配していたブルネイに侵攻。 兵力が少なかったイギリスはすぐに撤退し、日本軍が手中に収めました。「日本国ブルネイ県」と制定、日本の統治下においたのです。

ブルネイ県知事に任命されたのが…木村強(当時41歳)。 宮城県出身の木村は、県庁で商工課長などの要職を歴任。 1942年、旧日本陸海軍が占領地の行政を行う司政官として戦地に向かう事になりました。
日本軍には埋蔵資源が豊富なブルネイを軍港として利用する狙いがあったのです。

しかし、1942年、ブルネイ県知事に就任したのは、日本軍とは全く違う考えを持った軍人 木村強氏。就任直後、木村は当時のブルネイ国王の下へ国王から「何か希望はありますか?」との問いに 現地のブルネイ人を1人つけてくれることを希望しました。木村は、日本の国益だけを考えて占領するのではなくブルネイの発展に力を注ぎたいと考えていたのです。それを実現するためにブルネイ人を側に置き、共に行動することが最善と考えたのです。

国王が木村の部下に推薦したのは20代の若いブルネイ人青年。木村は占領国である立場にもかかわらず日本の国益だけを考えず、ブルネイの発展を第一に政策を進めていきました。秘書として雇ったブルネイ人青年はとても優秀で木村を助けました。木村が行った政策は、例えば、ブルネイで天然ゴムが採れる事に注目し、現地に工場を建て雇用を生み出したり、道路、電気、通信などのインフラ整備を進めるなどでした。

当時、ジャングルに覆われていたブルネイの発展に大きく尽力したのです。しかしブルネイを利用したい日本軍からすると、木村の政策はブルネイ人に甘く無駄なモノに映っていました
「私は他国の人間を奴隷のように扱う事を日本人として恥ずべき事だと考えています。彼らの独立につながる手助けができれば今後彼らも我々を助けてくれるだろう」木村氏は目先の利益を求めず、日本人としての品格や誇りを持って接し、助ける事こそが後の日本の国益につながると考えていました。

さらに木村は首狩り族:イバン族の生活整備も進めようとしていたのです。
当時、首狩りを行っていたイバン族は、同じブルネイ人からも敬遠されていました。
木村はそんなイバン族もブルネイ人が一丸となり発展を目指す事こそが国益につながると考えました。
当時、イバン族にとって日本軍は侵略者であり、殺し合いを繰り広げた敵。そんな状況の中でも木村は、危険を顧みず何度もイバン族の下へ足を運んだといいます。木村はイバン族に信用してもらうためジャングルに水道や電気を通し、インフラを整備。
さらに木村は国王に掛け合い、ブルネイにおけるイバン族の地位向上を訴え続けました。こうして木村は70年以上経った今でもイバン族から尊敬される存在になったのです。

ブルネイに発展に大きく貢献した木村氏は、県知事に就任してからわずか1年で転勤が決まりブルネイを離れることになりました。
別れの場では、現地の官僚は人目をはばからず男泣きしたというさらに苦楽を共にし、一緒に働いてきたブルネイ人秘書も泣きながら、「あなたから学んだようにこの国を立派な国へと成長させます」と誓いました。

木村氏は地元の宮城県に戻り検事の職に就いていました。1964年ある日のこと、東南アジアを飛び回る商社マンから「ブルネイの国王があなたを探しています」ということを聞き 木村は22年ぶりにブルネイに渡り、新しい国王の下へ向かいました。その新国王こそ、22年前、あの秘書をしていたブルネイ人青年だったのです。
「私はあなたから多くのことを学びました。そのおかげで日本にはまだ及びませんが、ブルネイも発展しつつあります」と感謝を述べブルネイでもう一度来てくれることを願いましたが、木村氏は「私もずいぶん年を取りました。ですからこれからは遠くからブルネイ国の発展を見守っています」と言いました。

今も多くのブルネイ人は親日家であるといいます。
「彼らの独立につながる手助けをできれば…きっと今後彼らも我々を助けてくれるだろう」木村氏の言葉通り、日本とブルネイの関係は良好、約9割ものの天然ガスが日本へ輸出されているのです。*****************************************

今回の旅行には添乗員さんはいませんでしたが、現地ガイドさんがついてくださいました。
ブルネイでお世話になった現地ガイドさんの大内むつみさんは、ブルネイのガイドになってまだ1年だそうですが、ブルネイについてとても詳しく、何を聞いても答えてくださる優秀なガイドさんでした。

参加者14名 旅好きな方が多かったので、話も盛り上がりとても素敵な旅行になりました。

  クラブツーリズム 週末で気軽に知られざる富豪国へ 幻想のブルネイ王国へ 5日間の旅
                   旅行期間    2017年7月7日〜7月11日