長崎のお土産 ・ コーヒーの話

長崎のお土産は「カステラ」が定番ですが、今回長崎から買って来たお土産はコーヒー。
長崎はコーヒー伝来の地だったのですね。
江戸時代「寛永18年」に、オランダ人が長崎の出島にコーヒーを持ち込んだのが、日本における
コーヒー文化の始まりなのです。

          

長崎のスコーコーヒーパークで栽培されたコーヒー豆と輸入の豆をブレンドしたこのコーヒー、今まで飲んだことのないお味でした。買ってきたのは甘い香りと程よい酸味のタイプ。
美味しかったので、スコーコーヒーパークがどんな所なのか調べてみたらとても楽しそうな所です。
ここにはレストランもあるようです。普通のメニューに加え面白いメニューもありました。

・コーヒーピラフ ¥1080
  コーヒーで炊き上げたごはんで作ったピラフの上にはコーヒーで煮たチキン!
  ソースもコーヒーを使ったスペシャルソースです。
・珈琲寿司の定食 ¥980
  コーヒーで炊き上げたごはんで押し寿司を作りました。
  バナナのお味噌汁もついてます。 コーヒー付
・コーヒーおむすびセット ¥800
  コーヒーで炊いたごはんのおにぎりです。
  中の具材には、コーヒーの果肉を使っています。 コーヒー付

興味津々 是非一度行きたいと思っています。

日本にコーヒーが入って来たのは、天明年間(1781年 - 1788年)頃に、長崎の出島にオランダ人が自分用として持ち込んだといわれている。出島に出入りしていた一部の日本人が飲用したようで、1804年に長崎奉行所に勤めていた大田南畝(大田蜀山人・しょくさんじん)によって記された『瓊浦又綴』(けいほゆうてつ)には、「紅毛船にてカウヒイというものをすすむ 豆を黒く炒りて粉にし 白糖を和したるものなり 焦げくさくして味ふるに堪ず」との記載がある。 嗜好品と言うよりも薬としての効果を期待されており、水腫に効果があるとされていた。これはコーヒーに含まれるビタミンの効用と考えられる。1807年の樺太出兵では野菜が摂取できないことによる兵の水腫病が問題になり、幕府から貴重なコーヒー豆が支給されたと言う。1855年頃、やはり寒さなどで殉難が多かった弘前藩士の為に幕府が薬用としてコーヒーを用意したという記録も残っている。開国後の1858年(安政5年)から輸入が認められ、主に居留地の西洋人向けとして横浜の西洋人商館などで少量が輸入されるようになった。やがて、1869年(明治2年)には新聞広告が出されるなど、少しずつ日本人にも広まっていったと考えられる。(Wikipediaより)

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もう一つ長崎のお土産  
前に長崎に行った時にお土産に購入した「一口香
                     
中に餡か何かが入っているのかと思い購入しました。既にお味の予想は出来上がっていてそのつもりで頂いたら、固い!しかも中が空洞だったのです。もしや、何かの間違えで中身を入れ忘れたのかしらと思い、もう一つ開けて見ました。やはり何も入っていません。???
                     
衝撃的でした。
でも、これ香ばしくて案外くせになりそうなお味です。
中国から伝わったという長崎ではおなじみの焼き菓子だそうです。歯に自信がある方限定?

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さて、話をコーヒーに戻しますね。

コーヒーを題材にした音楽 は少なくありません。歌曲の中で取り上げられることも多く、コーヒーそのものを題名に入れた曲もあります。
コーヒー・カンタータ(作曲:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 「そっと黙って、おしゃべりめさるな」 1732年)もその一つ。
バッハの時代のライプツィヒにはコーヒーハウスが8軒があり、大繁盛していたそうです。コーヒーハウスの中では音楽も提供する店が出てきて、バッハも大学生主体の演奏団体とともに出演していたといわれています。コーヒーカンタータもこのコーヒー店で演奏されたものと考えられています。
話の筋は、流行のコーヒーのことばかり考えている若い娘に、頑固おやじが、何とかコーヒーをやめさせようとする争いを歌うバッハの世俗カンタータの一つでコミカルな作品です。

バッハはコーヒーの愛飲家だったのです。

そうそう、ベートーベンもコーヒーがお好きだったようです。彼はコーヒー豆を60粒きちんと数えて、自分で淹れて飲んだそうです。

では、バッハのコーヒーカンタータをお聴きください。