イースター島・タヒチの旅 イースター島   アフ・アキビ   アフ・ビナプ

5日目(2)
イースター島のほぼ中央付近、なだらかな傾斜がつづく草原の丘に、7体のモアイ像が立っています。
イースター島のモアイ像は部族の力の象徴であり 守り神だった為、海を背に村を見下ろすように立てられていますが、アフ・アキビのモアイ像は唯一海を眺めて立っています。

他のモアイの周辺からは集落跡が発見されているのですが、アフ・アキビのモアイの周辺には人が住んでいた形跡がありません。不思議なモアイ達です。

春分秋分の日に、アフ・アキビのモアイがみつめる先の海には陽が沈みます。
その神秘的な光景を昨日目の当たりにしました。
        
昨日は暗く、しかもモアイ像を、背中から見ていたので、お顔が良くわかりませんでしたが、今日はしっかりお顔を拝見します。

モアイ達は伝説のホトゥ・マトゥア王がやって来たヒバの国の方角を見つめているのでしょうか。
7体のモアイ像は、イースター島の伝説に登場する7人の使者とも、7人の王子とも言われています。あるいはこの島に最初にやって来た人たちが、故郷の方角をむいているのだとする説もあります。島の文字を読める人がいなくなってしまった今となっては永遠の謎です。
        
モアイ像の大きさは4.5mから5m 横から見るとスリムです。
        


次はアフ・ビナプを見に行きます。
アフ・ビナプはマタベリ国際空港に比較的近い場所にあります。バスの中から私達が乗って来たチャーター機が見えました。帰りまで待機しているのです。
        

アフ・ビナプ
遠くから見ると、モアイも立っていないし、崩れた石が放置されているようにしか見えません。しかし、ここはインカ文明の遺跡との類似性が指摘される石組みで有名な所です。

ここには二つのアフがあり、それぞれNo1、No2と呼ばれています。

No1のアフの石組みはぴったりと隙間が無く、イースター島にあるアフの中で、もっとも精巧に組まれています。その技術の高さがインカ帝国のクスコ遺跡と似ていることから、イースター島民の「南米起源説」の要因となっています。また、このアフは南米ペルーを向いて建てられています。近くには 肩まで埋まったモアイがあります。目の彫りが浅く、アフに立てられた事はなかったと考えられています。 
  
現時点ではイースター島の人々の起源は言語、人種、植物などが、ポリネシアのほかの島々と一致していること。アフから発掘された人骨のDNA鑑定で、ポリネシア起源説が決定付けられたそうです。
南米起源説の根拠とされたこのアフ・ビナプも年代測定の結果、紀元後857年前後に作られたものとされ、紀元後1000年前後にクスコに誕生したインカ文明よりも早い段階で作られたことが判明しています。

でも以前旅したクスコで見たインカの石組み、クスコの中央広場近くの石組、そこからバスで10分ほどの所にあるサクサイワマン遺跡の石組、そしてマチュピチュ遺跡、これらの驚異的な施工技術が 今見ているアフ・ビナプの石組とそっくりなのです。この石組を見ると南米起源説がある事もうなづけます。

いろいろ想像をめぐらせながら歩きます。
                   女性のモアイ  
        
No2のアフのモアイも「モアイ戦争」で倒され放置されたままになっていますが近くに小さいモアイが一体立っていました。使われている石も、通常は「プカオ」を作るのに使われた赤い火山岩。風化が激しく原形をとどめていない為、モアイにはみえませんが、ガイドさんの説明では女性のモアイだそうです。よく見ると 胸 お臍、手がかすかにわかります。

モアイの数の分だけプカオも転がっています。
        

        
アフからだいぶ離れた所にも埋もれたモアイがありました。
        
当時の記録が失われたイースター島は、本当に謎に満ちた島です。
これからオロンゴ鳥人儀式村の見学に向かいます。これまた不思議な儀式です。