イースター島 タヒチの旅  タヒチ島

タヒチ島
タヒチ(正式名称フレンチ・ポリネシア)の玄関口は、ファアア国際空港があるタヒチ島
118島からなるタヒチの島々の中で最大の面積を誇り、首都パペーテがあるのもこちら。
他の島に出入りするたびにパペーテは今回の旅の基点となりました。

今回の旅の1日目 モーレア島に渡るとき、イースター島から戻り、ボラボラ島に渡る前の日に1泊と、タヒチ島パペーテはまさに空と海の入口でした。本格的なタヒチ島の観光は日本に帰る前の日、今回の旅の8日目にしました。

ボラボラ島からタヒチ島に行く飛行機から見る海は息をのむ美しさ。
        

        

        
タヒチ島で廻った所
マルシェ(公共市場)
パペーテには、周りの島々から人や物が集まって来ます。
マルシェには果物、野菜、魚、花々、お土産物等々、店舗数もさることながら品物の種類も多く、地元の人々や旅行者で賑わっていました。
        

        

        
タヒチ博物館
1974年に古代宗教の祭壇マラエがあった史跡に位置する、パナルウバレー麓に作られた 南太平洋圏で最大規模を誇るタヒチ博物館は、ポリネシアの歴史、風土、民俗に関する資料を展示した博物館です。ポリネシアの生活民具の展示を中心に、ポマレ王朝の遺品、マラエなどの祭具の復元など、ポリネシア人の古来からの生活様式を知ることが出来ます。
        
タヒチ島は1791年よりポリネシア系のポマレ王朝によって支配されていました。しかし、この地に来た宣教師が、特定の部族に狙いを定め、その部族の長をキリスト教に改宗させました。

ポマレ1世は武器の提供を条件として、キリスト教の布教を認めました。これはキリスト教に改宗した部族長にのみ戦闘に有利な武器が渡されたことを意味しています。

ポマレ1世によるタヒチ武力統一は成功しポマレ王朝が始まりましたが、タヒチ支配をめぐってキリスト教宣教師やその母国の支援を受けたことにより、結局、ポマレ王朝は宣教師追放した以降、宣教師追放を口実にしたフランスの政治的かつ軍事的圧力を受け、1842年に女王ポマレ4世がフランスの圧力に屈し、タヒチ島とモーレア島をフランスの保護領とする条約に署名。1880年のポマレ5世の主権譲渡への署名によりタヒチ島はフランスの植民地となり、以降、フランスは本格的にタヒチ島に進出しました。
第二次世界大戦中にフランス本国がドイツに占領されると、自由フランス側につき、連合国に協力、1949年にフランス海外領土に昇格し、1957年に大幅な自治権を獲得しました。

マラエ
パペーテ近郊にあるアラフラフには、「マラエ」と呼ばれる石積みの遺跡があります。マラエはタヒチ先住民族マオヒが造ったもので、宗教儀式や政治、懲罰などにおける種々の決定が行われていました。モーレア島で見たマラエと少し違い四角錘の祭壇は高さ約10メートル。周囲にはティキ像(石人像)が置かれていました。
        

        
カテドラル
        

                  
マルシェの近く、赤い屋根と黄色の可愛い教会がタヒチノートルダム大聖堂です。1857年にポリネシアの人が建てたもので、タヒチでのキリスト教が始まった場所といわれています。
この島はフランス領ですが、多くの人がプロテスタントなので、カトリック教会はここだけです。この教会を中心に街が栄えたそうです。

興味深かったのは、パペーテのカテドラルを始点に、タヒチ島にはここがパペーテから何kmのところにあるのかわかるよう石柱が1kmごとに設置してあることです。

カテドラル前の石柱の道路に面した側には、PK0と書いてありますが、この数字はパペーテからのキロメートルを表しているのです。もちろんカテドラルの前の石柱の数字は0です。

お昼は日本料理屋FUJIでお弁当を頂きました。
                
ルロット
夕方 タヒチ島で人気のワゴンカーによる移動式屋台ルロットに行きました。ホテルからは遠いのですが、オプショナルツアーがあり、バスで送迎してくれます。(オプショナルツアーは送迎だけで、少々お高いかなと思いましたが、タヒチのタクシーは夜の料金が昼の2倍になる事を考えると妥当なお値段だったかもしれません。)

ルロットは毎夜18:30ごろから始まり、タヒチっ子で賑わいます。
営業開始時間になると、パペーテ港前のバイエテ広場のあちらこちらに屋台が準備され、中華料理やクレープ、ステーキなど、タヒチ人の大好きな料理の屋台が所狭しと並べられます。

ここでブイヤベースを頂きましたが屋台とは言え本格的なお味で美味しかったです。
        

        

        
宿泊したホテル ル・メリディアンタヒチ
風が吹くととても気持ちがよい吹き抜けのロビー
        
宿泊した6階の部屋は、パノラマビューでホテルのプールから海の景色まで一望できました。
        

        
朝食のビュツフェも品数も豊富で、マグロのお刺身もありました。
タヒチアンは、日常好んで魚、とくにマグロを食べます。新鮮なものはサシミでも食べるようです。
        
地球の楽園と言われている美しい島タヒチですが、フランスはタヒチで大気圏内核実験を行いました。
実験を始めたのは世界的にその実験が禁止された後の1966年です。実験はタヒチ島のあるフランス領ポリネシア、ムルロア環礁でした。核実験は1996年までの間に200回以上行われていました。
フランスは秘密主義を徹底し、反対運動をした住民を刑務所に入れました。核実験が行われたあと、魚を食べたり、海で泳いだりすると病気になる人が増えましたが、病人にはそのことをほかの人に言わないように口止めし、外国の記者なども島に入れないようにし、核の被害を隠そうとしたのです。しかし、世界的な反核運動が高まり、世界中の人々がフランスの製品の不買運動を行った為、実験は中止されました。

タヒチ島までは1000㎞以上も離れていますので、本島に影響はないでしょうが、環礁を作って いる珊瑚礁にひびが入り核実験が環境に影響を与えなかったとは決して言えません。

地上の楽園と言われる美しい海を見ながら、不条理な事が平然と行われている世の中に憤りを通り越し、何とも言えない空しさを感じてしまいます。
        
9日目
素晴らしい旅ともいよいよお別れです。
朝7時10分発エア・ タヒチヌイで帰国の途に着きます。
        
機内食は2回。機内では最後にタヒチで飲み忘れたヒナノビールを体験。
12時間15分の快適な空の旅の後成田に到着。
    

    
成田到着は翌日の14時05分。

今回の旅は歩く所も少なく、労せずして異次元の世界に迷い込んだようなイースター島を廻ることが出来た事、また地上の楽園と言われているタヒチの島も廻ることができた最高に素晴らしい旅でした。

この旅を企画して下さったクラブツーリズムの方々、常に細やかな心配りをして下さり、旅を盛り上げて下さった添乗員の森廣さん、池田さん そしてスタッフの皆様本当に有難うございました。

クラブツーリズム  
「チャ−タ−便で行くイースター島と憧れのリゾ−ト タヒチ、モ−レア、ボラボラ3島めぐり
 10日間 」                        2016年3月19日〜3月28日